ミテンの本棚 > 宮崎、歴史こぼれ話 | ||||||
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娘二人の逃亡 送り状の事 伊予国小松御領はんぎう村 水野文五郎娘 よし 安芸国宮嶋浜辺 北ノ町 由五郎娘 はつ 右のもの共、去る戌(天保9年(1838))12月、図らずも賊船に拉致され、海上で数日を送っていたが、同年12月20日日向国飫肥領折生迫(宮崎市)の湊に着岸致し上陸、陸路飫肥城下へ連れられて行く途中逃げ出し、近辺所々逃げ隠れ、漸く当(天保10年)正月5日岩戸村野方野(高千穂町)の庄屋宅に参り、一宿致させたが、一銭の蓄えも無くその上女の身、途中難渋の事が多く、生国まで数十里、海陸無事に帰国する事覚束なく、国々御役人様方御慈悲を以って、恙なく帰国できるよう御取り計らい下されます様、不憫の至りにつき送り状添え申し候 国々宿々御難題ながら御慈悲の思し召しを以って、生国へ御送り届け下され候様仕り度く、尤も路銀の貯えも無いことから、行き暮れ候(行く途中で日が暮れる)ときは土間寝など、宜しく御取り計らい下され度く、御頼み申し候 猶、委細は二人が口上にて申しますので、送り状添えて申し上げ候 亥(天保10年)正月10日 日向国延岡領 高千穂岩戸村大庄屋 土持霊太郎(信贇) 印 下野、上野、田原、川内、五ヶ所、(大分、愛媛分は略) 右、国々宿々御役人様中 猶々、右宮嶋北ノ町由五郎娘はつは幼年に付き、送り状を添えると途中覚束無きに(紛失)付き、二人分一緒にはんぎう村に相送り候。同所御役人様より宮嶋へ恙なく帰宅致す様、御取り計らい下さるべく候 以上 以上は岩戸村大庄屋土持信贇が、堅実で確り者のよしに持たせた送り状。※一部改変 他にも拉致された子ども達について、五ヶ所村(高千穂町)の矢津田庄屋がよしから聞き取りしたことを残している。 飫肥船百石積み位、船頭伊助四十才計、舟子弐人、乗組船頭共に拾弐人 伊予国小松領はんぎう村 よし 二十六才 安芸宮嶋 常吉 二十二才 愚人の由 同断(同じ) 由… 十二才 同断 友吉 十五才 同断 たけ 十九才 同断 はつ 十四才 同国福しま なか 八才 折生迫庄屋に売れ申し候 同国草津 なを 国不知 長門か柳井 茂吉 十五才 〆九人奪い取られ候由 申し聞け候 参考資料 碓井哲也『日向路秘話 娘二人の遥かな旅路』本多企画 『高千穂町史 郷土史編』高千穂町 |
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2024-10-29 更新 | ||||||
著者プロフィール | ||||||
前田 博仁(まえだ ひろひと) 昭和40年宮崎大卒。県内小学校、県総合博物館、県文化課、県立図書館を歴任、 平成15年宮崎市立生目台西小学校校長定年退職。 現在、宮崎民俗学会会長 (県)みやざきの神楽魅力発信委員会顧問、(県)伝統工芸品専門委員、 高鍋神楽記録作成調査委員会参与、日南市文化財審議会委員 著書 『近世日向の仏師たち』(鉱脈社) 『薩摩かくれ念仏と日向』(鉱脈社) 『近世日向の修験道』(鉱脈社)、 『比木神楽』(鉱脈社)、 『神楽のこころを舞いつぐ』(鉱脈社)、 他に『鵜戸まいりの道』 『飫肥街道』(鉱脈社) 共著 『宮崎県史 民俗編』 『日之影町史(民俗)』 『北浦町史(民俗)』 『日向市史(民俗)』 『清武町史(民俗)』 『みやざきの神楽ガイド』 |
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