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宮崎、歴史こぼれ話
科学技術の発展を別にすれば、武士や庶民の生き方考え方などは現代と同じ。民俗的視点から学校の歴史学習では習わない当時の人々の生活を紹介します。
 
No.169 近世日向の修験 飫肥藩1
前 田 博 仁 ( 宮崎民俗学会会長 )
三部快永
 飫肥藩は日向国(宮崎県)南部に所在した。外様。5万1千石。
 天正15年(1587)豊臣秀吉の島津征伐に戦功をあげた伊東祐兵は、那珂郡飫肥(日南市)、宮崎郡曽井・清武(宮崎市)を給された。祐兵を初代に14代続き明治に至る。
 飫肥の修験は初代藩主伊東祐兵が飫肥に入部したことから始まる。祐兵は飫肥城下の南に位置する愛宕山中腹に祐光寺を創建、修験僧三部(峯)快永が開山し飫肥藩修験の総取締となった。
 中世、伊東氏は都於郡(西都市)を拠点に日向国の大半を治める戦国大名で、薩摩島津氏と長年に亘って覇権を争っていたが、元亀3年(1572)木崎原(えびの市)で敗れ、5年後の天正5年(1577)伊東義祐・祐兵父子は大友宗麟を頼って豊後国(大分県)に落ちた。しかし豊後での居心地は良くなく伊予(愛媛県)や大坂などを流浪、義祐は堺で死去している。
 三部快永は上野国(群馬県)出身の修験で、諸国遍歴中日向国を訪れたとき都於郡の伊東義祐に厚遇された。その旧恩を思い流浪の身であった義祐らに仕え、さらに若い祐兵が秀吉に仕えることに尽力した。
 日向国を手にした島津氏は勢いにのり九州の殆どを掌中に収めるが、全国統一を目指す豊臣秀吉にとって島津氏の台頭は不都合で島津討伐となる。この時祐兵は戦功があったとして秀吉の国割で飫肥を給り飫肥伊東氏として再び日向国に返り咲いた。
 祐兵は三部快永を飫肥に招き祐光寺を開山させ、寺領100石(後に75石)を下付した。
祐光寺は元もと諸県深年の寺中(国富町)にあった。伊東祐時の六男祐光が54歳で死去し祐時・祐光父子の菩提を弔う寺を建立、寺領として深年30町を給した。祐光の孫祐宗の六男祐範は出家して慈性と号し、祐光寺別当になるが後に還俗して深歳を名乗った。(※1)なお、江戸時代になると深年は薩摩領となり祐光寺跡は勝福寺となった。
 日南市楠原の愛宕山中腹に祐光寺跡がある。現在2反歩ばかりの畑地になっており中央に快永の墓石が建立してある。「金剛蔵王 台蔵権現 正大先達三部法印快永 文禄元壬辰年七月十四日寂」の文字が刻んであり、文禄元年(1592)に三部快永が入寂したことが分かる。伊東祐兵が飫肥に入部したのは天正16年(1588)、入部してすぐに快永を招いたとしても僅か4年間の在位であった。快永没後は祐光寺別当であった深歳氏が引継ぎ飫肥修験320人(※2)の頂点となり代々その職を勤めた。修験名は大本院、文政13年(1830)の飫肥藩分限帳写に「七拾五石 深歳三峯院、同大本院」、天保初期と思われる分限帳にも「七拾五石 深歳大本院」とあり給人格の扱いであった。
 祐光寺周辺に多くの石碑が残っており、それらから祐光寺の修験活動の一端を見ることができる。その一つに大本院祐清が建立した大峯愛宕両峰修行碑がある。正面に「奉供養大峯愛宕諸天魄善神 文化元甲子十一月十四日」側面に「両峯修行三拾有四度 阿闍梨大先達法印祐清」とある。この祐清は天明3年(1783)に袈裟頭に任じられている。大峯山と愛宕山の入峯を修行を行いその回数が34回となったことを記録しているのであるが、当山派では36回(幕末は9回)で大越家を認めるので、それに向けて入峯修行をしていたのであろう。

脚注
※1宮崎県史叢書『日向記』宮崎県
※2『宮崎県史通史編近世上』宮崎県
参考資料
前田博仁著『近世日向の修験道』鉱脈社
2024-03-26 更新
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著者プロフィール
前田 博仁(まえだ ひろひと) 
昭和40年宮崎大卒。県内小学校、県総合博物館、県文化課、県立図書館を歴任、
平成15年宮崎市立生目台西小学校校長定年退職。
現在、宮崎民俗学会会長
(県)みやざきの神楽魅力発信委員会顧問、(県)伝統工芸品専門委員、
高鍋神楽記録作成調査委員会参与、日南市文化財審議会委員

著書
『近世日向の仏師たち』(鉱脈社)
『薩摩かくれ念仏と日向』(鉱脈社)
『近世日向の修験道』(鉱脈社)、
『比木神楽』(鉱脈社)、
『神楽のこころを舞いつぐ』(鉱脈社)、
他に『鵜戸まいりの道』
『飫肥街道』(鉱脈社)

共著
『宮崎県史 民俗編』
『日之影町史(民俗)』
『北浦町史(民俗)』
『日向市史(民俗)』
『清武町史(民俗)』
『みやざきの神楽ガイド』
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