宮崎みんなのポータルサイト miten !でグルメ・イベント等の生活情報をチェック!
働いてミテン
ユーザー名:
パスワード:
トップ | 無料会員FAQ | サイトマップ | リンク集 |
すべて 食べる
遊ぶ 買う
キレイ 暮らす
健康 医療・福祉
でかけてmiten
買ってミテン
働いてミテン
ミテンの本棚  >  宮崎、歴史こぼれ話

宮崎、歴史こぼれ話
科学技術の発展を別にすれば、武士や庶民の生き方考え方などは現代と同じ。民俗的視点から学校の歴史学習では習わない当時の人々の生活を紹介します。
 
No.163 戦では鑓が最も有効な武器だった
前 田 博 仁 ( 宮崎民俗学会会長 )
 慶長5年(1600)9月15日、天下分け目の関ヶ原戦(岐阜県)の直前、飫肥領主伊東祐兵は家臣稲津掃部助に延岡領主高橋元種の宮崎城を攻めることを命じた。
 延岡高橋氏、高鍋秋月氏、佐土原島津氏、飫肥伊東氏の日向諸侯と薩摩島津氏は西軍石田三成側で戦うことになっていたが、伊東祐兵は表向き西軍側の姿勢を示しながら徳川家康と密かに気脈を通じていた。これには豊前国中津(大分県)の黒田孝高(如水)の勧めもあり、意をひるがえして東軍徳川方につくことを決意していたからである。
 関ヶ原戦直前、伏見にいた伊東祐兵は病にかかり戦場に出ることが困難な状況になったが、如水の「なにも関ヶ原に出陣しなくとも、日向の地で西軍を攻めればよい」との助言を受け、祐兵は清武城代稲津掃部助に西軍側の宮崎城(延岡領)を攻めさせることを決めた。
 9月29日、飫肥側は清武兵2,300余、飫肥からの援軍700余合わせて3,100余人で攻めた。他方、宮崎城側は権藤種盛と2人の息子、それに375人の士卒・雑兵であった。宮崎城には常時700余の士卒が配置されていた筈だから半数は逃亡したのであろう。
 先ず、300の先発が鬨(とき)を上げた。これを聞いて宮崎城主権藤は「敵は小勢なり、者ども進め」と下知、これは開門させる稲津側の作戦であった。新月の闇に乗じ満願寺口など五口から1,500が一斉に攻めた。
 種盛の二人の息子は鑓・長刀の達人で攻め来る伊東勢数十人を切り伏せるが、そのうちに権藤父子3人も痛手をうけて詰ノ丸に退き、戦う気力もなく権藤らは切腹しようとしていた。しかし、競い上ってくる伊東勢は一斉に斬りかかり切腹のいとまも無く殺害された。10月朔日夜明け方に落城、権藤父子をはじめ士卒・雑兵100余が戦死した。29日真夜中から始まった戦いは明け方には終わった。
 伊東氏の歴史書『日向記』にこの宮崎城攻めで負傷した武将名が挙げてある。鑓で傷を負った武将25人(66%) 、太刀傷を負った武将11人(29%)、長刀による傷2人(5%)で、鑓で攻撃され傷ついた者が半数以上、太刀で斬りあった者が三分の一になる。
 討ち死にした武将は43人、討死にした雑兵数々。
討死した武将の筆頭に右松又左衛門と息子伴次が挙がる。又左衛門は敵将大山刑部と鑓で戦って打ち取るが、又左衛門も相手の鑓で負傷3日後に死ぬ。
 次に落合清右衛門、これは権藤仲右衛門と渡り合って討死。権藤仲右衛門とは宮崎城主権藤種盛の息子の一人で鑓と長刀の達人と評された武将、仲右衛門は冨蘯]艮Ρ厂膽臀召眛い辰討い襦
 稲津掃部助の宮崎城攻めでは鉄砲隊はいなかったようだ。織田信長など中央の武将は積極的に鉄砲を採り入れたが、日本の端日向国では戦に鉄砲隊を組織する程の財力がなかったのであろう。
 右松又左衛門については「みやざき風土記49」を参照されたし。
参考書『宮崎県史叢書 日向記』宮崎県、平部嶠南『日向纂記』歴史図書社
2023-09-26 更新
2023 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 08 | 09 | 10 | 11
2022 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10
2021 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2020 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2019 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 11 | 12
2018 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2017 | 01 | 02 | 03 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2016 | 01 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2015 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2014 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2013 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
2012 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 12
2011 | 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | 10 | 11 | 12
著者プロフィール
前田 博仁(まえだ ひろひと) 
昭和40年宮崎大卒。県内小学校、県総合博物館、県文化課、県立図書館を歴任、
平成15年宮崎市立生目台西小学校校長定年退職。
現在、宮崎民俗学会会長
(県)みやざきの神楽魅力発信委員会顧問、(県)伝統工芸品専門委員、
高鍋神楽記録作成調査委員会参与、日南市文化財審議会委員

著書
『近世日向の仏師たち』(鉱脈社)
『薩摩かくれ念仏と日向』(鉱脈社)
『近世日向の修験道』(鉱脈社)、
『比木神楽』(鉱脈社)、
『神楽のこころを舞いつぐ』(鉱脈社)、
他に『鵜戸まいりの道』
『飫肥街道』(鉱脈社)

共著
『宮崎県史 民俗編』
『日之影町史(民俗)』
『北浦町史(民俗)』
『日向市史(民俗)』
『清武町史(民俗)』
『みやざきの神楽ガイド』
(1) 2 3 4 5 6 7 8 9 10 » 
PopnupBlog 3.0 Denali-1225 created by Bluemoon inc.  
e87.com(株式会社千趣会イイハナ)
富士通パソコンFMVの直販サイト富士通 WEB MART