ミテンの本棚 > みやざき風土記 | ||||||
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![]() 南北朝時代(1300年代)、南朝の忠臣芝原又三郎が現在の高千穂町押方芝原から古戸野に熊野権現(古戸野神社)を勧請した。そのとき神楽も伝承したそれで地元では高千穂神楽と同系列であるという。 神社から神楽宿への神迎えで神楽は始まる。神殿から御神体を宮司が古い木箱に移し、氏子総代が背負い着面の神々や白装束の祝子が供奉する。神楽宿の庭で外注連を三回廻って神庭に入る舞い込みまで高千穂神楽と同じ。 古戸野神楽には高千穂神楽の一番舞である彦舞がない。高千穂では明治期に三十三番番付に挿入したフシがあるが、地理的に遠く徒歩が唯一の交通手段であった時代、高千穂との交流も頻繁ではなく、古戸野神楽は高千穂神楽の原型を保っているのではないかと、宮崎県民俗芸能緊急調査のとき調査員であった高千穂町興梠敏夫氏は話された。 いつ頃からか神楽宿が民家から公民館や地区センターなどに替わってきたが、古戸野では現在も民家を神楽宿にして奉納している。大正7年(1918)から平成22年(2010)まで、神楽宿を引き受けた地区と氏名の資料がある。古戸野は西、久保、仲山、陣、横通、黒板、馬場、辻などの集落があり、ほぼ集落順送りの形で神楽宿を引き受けている。(「古戸野神楽」) ![]() 神事の後、10時30分から神楽奉納、コロナ関係で式三番の奉納だった。式三番は神降、鎮地(ちんぢ)、入貴神。 神降 4人舞。烏帽子、白素襖、白袴。鈴、扇。 4人が神座に向かって並列となり、鈴と左手に榊小枝を持って舞い始め、4人は御神屋中央で舞い神歌を歌う。次に舞い手1人が開扇、鈴で中央に舞い出て唱教を唱える。次に4人が閉扇と鈴で、神歌を歌いながら右まわり、左まわりで舞う。次に開扇と鈴となり舞い振りは前と同じ。御神屋中央で舞い、4人が横並列となって四方を踏み、下座に座し開扇を面前に三拝して舞い納める。 鎮地 4人舞。毛笠、白素襖、白袴。鈴、扇。 開扇と鈴で横並列で舞い始め、横中央に座し神歌を歌、立って神歌を歌う舞動きは殆どない。次に横並列となり袖を腕に巻き、解き、前に進み後ろに戻る。四方を踏む。4人はその場でまわり、袖を巻き解くを繰り返す。貴神が舞い込む。 入貴神 1人舞。着面、白張、千早、白袴。腰幣2本、杖。 鎮地舞い手は退場するが、鎮地の1人が残り貴神が舞う。貴神は開扇と鬼神杖を持ちゆったりと舞う。鎮地舞い手が退場し貴神の1人舞となり、再び鎮地舞い手が開扇、鈴で貴神と舞う。鬼神が退場すると、鎮地の舞い手は下座に並列となり、開扇で三拝し舞い納める。 |
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2023-04-11 更新 | ||||||
著者プロフィール | ||||||
前田 博仁(まえだ ひろひと) 昭和40年宮崎大卒。県内小学校、県総合博物館、県文化課、県立図書館を歴任、 平成15年宮崎市立生目台西小学校校長定年退職。 現在、宮崎民俗学会会長 (県)みやざきの神楽魅力発信委員会顧問、(県)伝統工芸品専門委員、 高鍋神楽記録作成調査委員会参与、日南市文化財審議会委員 ![]() 『近世日向の仏師たち』(鉱脈社) 『薩摩かくれ念仏と日向』(鉱脈社) 『近世日向の修験道』(鉱脈社)、 『比木神楽』(鉱脈社)、 『神楽のこころを舞いつぐ』(鉱脈社)、 他に『鵜戸まいりの道』 『飫肥街道』(鉱脈社) 共著 『宮崎県史 民俗編』 『日之影町史(民俗)』 『北浦町史(民俗)』 『日向市史(民俗)』 『清武町史(民俗)』 『みやざきの神楽ガイド』 |
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