ミテンの本棚 > みやざき風土記 | ||||||
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![]() 期 日 令和5年4月9日(日) 9時〜16時 場 所 桑野内神社境内 明治28年(1895)10月、高千穂町押方の阪本立三から伝授され、昭和24年(1949)3月、甲斐富士太郎と興梠栄の二人の師匠から習い現在に至る。 伝承の年代は不詳だが、現存する舞衣に「明治三年(1870)」の墨書があることから、神楽伝承は言い伝えよりもっと古いと言える。 神庭は2間×2間、中央舞処カーペット1.5m×1.5m(昔は藁編みのネコブクだった) 保存会 10代6人、20代0人、30代6人、40代3人、50代以上9人 1月第1土日の夜神楽がコロナ禍で催行できなかったことから、春例祭(例年は式三番の奉納)では夜神楽で出来なかった演目分を考慮して9番の奉納とした。 神事 9;00〜9;35 宮司一拝、修祓、開扉、祝詞奏上、玉串奉奠、閉扉 1番 神降し 9;55〜10;17 4人舞 烏帽子、麻素襖、白袴。鈴と榊枝を持ち舞い、「中央六部……」の神歌を詠いながら舞う。1人が出て開扇、鈴で舞い唱教を唱える。他はその場に座す。再度4人が閉扇、鈴で右回りで舞い、のち開扇となる。手首を回し開扇を回す。4人は神座を向いて正座、開扇を揺らしながら下ろし、舞を終わる。4柱の神の出座し願う。 4人舞のリーダーをハナという。 ![]() 4人舞 毛笠、衣装は神降しと同じ。閉扇・鈴で舞い出し、太鼓方と舞手は交互に唱教を唱える。座して腕に袖を巻き、立って開扇となり両腕に盛んに袖を巻き、解くなどして舞う。土地を祓い神を鎮める。 ![]() 2人舞 毛笠、衣装神降しと同じ。腰幣2本。閉扇・鈴で舞い出し、開扇となり両腕に袖を巻く、解くを繰り返す。鬼神(毛笠、着面、千早、紫袴)舞い込む。2人は神庭隅に控える。鬼神はブチを持ち周辺を威嚇するように舞う。鬼神退場。再び2人が登場、開扇・鈴で舞い納める。昇神の舞、神を送る。「神降し」「鎮守」「杉登」を式三番という。 ![]() 2人舞 封(くう)冠(かん)、鉢巻、衣装前と同じ。座して袖調べ。閉扇・鈴で舞い始め、開扇となる。素手となって袖先を持ち舞い、素襖を脱いで両手に持ち横や上に広げる。次に腰幣2本を束ねて、右手左手に持ち替えて舞い四方を踏む。幣を高く掲げ「ホーサ」の掛け声でクルクル回しながら軽やかな足踏みで軽快に舞う。幣による祓の舞。 |
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2025-04-08 更新 | ||||||
著者プロフィール | ||||||
前田 博仁(まえだ ひろひと) 昭和40年宮崎大卒。県内小学校、県総合博物館、県文化課、県立図書館を歴任、 平成15年宮崎市立生目台西小学校校長定年退職。 現在、宮崎民俗学会会長 (県)みやざきの神楽魅力発信委員会顧問、(県)伝統工芸品専門委員、 高鍋神楽記録作成調査委員会参与、日南市文化財審議会委員 ![]() 『近世日向の仏師たち』(鉱脈社) 『薩摩かくれ念仏と日向』(鉱脈社) 『近世日向の修験道』(鉱脈社)、 『比木神楽』(鉱脈社)、 『神楽のこころを舞いつぐ』(鉱脈社)、 他に『鵜戸まいりの道』 『飫肥街道』(鉱脈社) 共著 『宮崎県史 民俗編』 『日之影町史(民俗)』 『北浦町史(民俗)』 『日向市史(民俗)』 『清武町史(民俗)』 『みやざきの神楽ガイド』 |
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