ミテンの本棚 > 宮崎、歴史こぼれ話 | ||||||
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![]() 昭和7年(1932)には檍村を編入したのをはじめ、同18年(1943)に赤江町、同26年(1951)に瓜生野村、倉岡村、木花村、青島村、同32年(1957)住吉村、同38年(1963)に生目村を合併し現在に至る。 ところで「宮崎」という地名の由来は、神武天皇を祀る皇宮屋という社が下北方(宮崎市)に鎮座し、その皇宮屋の前に広がる、現在の江平や上別府、源藤、大塚、生目、下北方など一望できる地域を皇宮屋の前すなわち宮(みや)の前(さき)、「宮崎」と言った。現在、宮崎県庁や商業の中心地橘通り、周辺の田園地帯など、宮崎県の中心となっている一帯である。 ![]() 江戸期、現在の市域は北部の住吉や島之内は佐土原藩、宮崎、大淀、大宮、瓜生野、生目など中央部は延岡藩、倉岡や糸原は薩摩藩、金崎、吉野、堤内は高鍋藩、赤江、木花、青島などは飫肥藩、細江、檍、本郷南方は幕府領など、現在の宮崎市壱岐は藩や天領がモザイク状に入り組み複雑な支配であった。 ![]() 明治6年(1873)宮崎県が成立、県庁を県中央に位置する上別府(宮崎市)に置いた。ここは延岡藩の飛地宮崎の農村で、戸長役場を県庁舎としたが狭く、明治7年に新庁舎を建設した。 ![]() |
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2025-03-25 更新 | ||||||
著者プロフィール | ||||||
前田 博仁(まえだ ひろひと) 昭和40年宮崎大卒。県内小学校、県総合博物館、県文化課、県立図書館を歴任、 平成15年宮崎市立生目台西小学校校長定年退職。 現在、宮崎民俗学会会長 (県)みやざきの神楽魅力発信委員会顧問、(県)伝統工芸品専門委員、 高鍋神楽記録作成調査委員会参与、日南市文化財審議会委員 ![]() 『近世日向の仏師たち』(鉱脈社) 『薩摩かくれ念仏と日向』(鉱脈社) 『近世日向の修験道』(鉱脈社)、 『比木神楽』(鉱脈社)、 『神楽のこころを舞いつぐ』(鉱脈社)、 他に『鵜戸まいりの道』 『飫肥街道』(鉱脈社) 共著 『宮崎県史 民俗編』 『日之影町史(民俗)』 『北浦町史(民俗)』 『日向市史(民俗)』 『清武町史(民俗)』 『みやざきの神楽ガイド』 |
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