ミテンの本棚 > みやざき風土記 | ||||||
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![]() 三納代神楽 法者 「不思議なる寿殿 あれに御入(おんい)り候らいて 謡いを歌い舞を舞い給えども 神明いまだ御納上(納受)なく候ほどに 南天の陰陽を招じ奉って ともに岩戸を祈らばやと存じ候 如何に陰陽や まします 陰陽や まします」 太鼓の音とともに陰陽登場、入れ替わりに法者退場する。 陰陽、白毛頭に赤面を着け、白衣に金襴千早、同袴、足袋を着用する。腰に二本の幣を挿す。両手に黄幣と青幣一本ずつを持ち、舞処歩きながら、 陰陽 「ほのぼのと さんしを問えばこの里に 月の光も明らかに」と歌いながら幣を立て、右廻りに歩き、「通りの法者 通りの子巫女(こみこ) 茂山の寿 南天の陰陽を参り 天岩戸を祈り奉れども 神明未だ御納上なく候程に 神武を招じ奉って共に岩戸を祈らばやと存じ候 如何に神武やまします 神武やまします」 神武登場、背に逆三角形の枠内に三つ巴の太鼓を負う。舞処を廻って陰陽の脇に並ぶ。 神武、メンボーシを被り赤黒い面を着ける。白衣に赤系千早、青系裁着袴、足袋を履く。背に逆三角形の枠に三つ巴模様の太鼓を負う。手に撥を持つ。 舞処を一廻りして陰陽と並び立つ。 ![]() 「神風や五十鈴の川の宮柱 ちとせんまでとぞ 祝いそめける」と歌いながら正面に進み、黒子に太鼓を渡す。 神武 「第六代には二つの命 天神七代 地神五代 末代の衆生に縁を求めん その為に熊襲三社大権現と 現れ出で給う事もかたじけなや 参宮におん戸開き やびらきの声として神武と召され候は そも何の子細によって召され候やらん」 陰陽 「ああれ あれ御覧候らいや 天照大神(てんしょうだいじん)は世をむさぼり 天岩戸を閉じ給うによって日月の光も失せ せんそ万物もしょうじょう得難し 神もありがたし また人間も住み難ければ 通りの法者 通りの子巫女 繁山の寿 南天の陰陽参り 天岩戸を祈り奉れば 神明も早ご受け御納上と見えて候程に 神武を招じ奉って喜びの御神楽を奏し囃(ばや)さばやと存じ候 かあの太鼓のいわれは候」 神武 「かあの太鼓の謂れとや かあの太鼓の謂れなら ああらあら語って聞かせ申さん 山水に苔むすとは言えど 我等が久しく持って打ったる太鼓にて かあの太鼓を打っては ゆうやの神も勇み 花のもとにきたっては 眺めん為に夜もすがら帰らん事をも うちも寝ずしてうち忘れ 御戸(おんと)に籠りまします簪(かんざし)や 神より温情なし申さんが為に 一切の諸神 諸大明神」と唱うなか、撥を両手に軽快に動く。太鼓は下手に移動し、また上座に戻る。 |
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2025-01-14 更新 | ||||||
著者プロフィール | ||||||
前田 博仁(まえだ ひろひと) 昭和40年宮崎大卒。県内小学校、県総合博物館、県文化課、県立図書館を歴任、 平成15年宮崎市立生目台西小学校校長定年退職。 現在、宮崎民俗学会会長 (県)みやざきの神楽魅力発信委員会顧問、(県)伝統工芸品専門委員、 高鍋神楽記録作成調査委員会参与、日南市文化財審議会委員 ![]() 『近世日向の仏師たち』(鉱脈社) 『薩摩かくれ念仏と日向』(鉱脈社) 『近世日向の修験道』(鉱脈社)、 『比木神楽』(鉱脈社)、 『神楽のこころを舞いつぐ』(鉱脈社)、 他に『鵜戸まいりの道』 『飫肥街道』(鉱脈社) 共著 『宮崎県史 民俗編』 『日之影町史(民俗)』 『北浦町史(民俗)』 『日向市史(民俗)』 『清武町史(民俗)』 『みやざきの神楽ガイド』 |
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