ミテンの本棚 > 体で感じる・心が育つ | ||||||
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年を取るということを、いつもは肯定的にとらえる私ではありますが、どうしても、そうできないことがあります。それは、やはり年を取るにつれて、肉体的にいろいろな意味で変化があらわれてくるということです。特に最近感じるのは、体重が減りにくくなったことです。50歳に入った頃でさえ、食べる量に関係なく、さほど体重の変化がなかった私が、そろそろ60歳となると、体重の管理が難しくなってきました。体重的には、大学時代とさほど変化はないのですが、その肉体を構成するものが変化してきました。つまりは、筋肉よりも脂肪が増え、その脂肪が、地球の引力に逆らえなくなったということです。体重をコンスタントに維持するためには、以前の何倍もの努力が必要になってきたのです。しかも、体力は衰えてきましたから、そんなにたくさんの運動はできません。私も年を取ったのだなあ、つくづくそう思うことが多くなりました。一生懸命自分にスイッチを入れようとするのですが、果たしてどこにスイッチを入れたらいいのか、そんなことを考えていたとき、思いついたのが、今月のタイトルです。これらの3つのうちのどのスイッチが一番入れやすいだろうか? 私は考えてみました。そうして、私の出した結論が、タイトルに書かれた「頭→体→心」の順番だったのです。 私は毎朝、オグ・マンディーノという人が書いた『地上最強の商人』という本を読んでいます。この本は、1968年に出版されて以来、20カ国語で翻訳出版され、出版部数が世界中で300万部を超えた自己啓発本のベストセラーです。訳者は無能唱元氏、監修は稲盛和夫氏です。どうして毎日この本を読んでいるのかは、この本を紐解いてみたらわかります。この本の第一巻は「今日、私は新しい人生を始める」という言葉で始まっています。そういうわけですから、私は、毎朝、夜明け前に起き出して、この本を開き、「今日」という「新しい人生」を始めているわけです。昨日までがどんな人生であろうと、そして、明日にどんな未来が来ようと、とにかく今日一日は、昨日でも明日でもない「今日という新しい人生」というわけです。そうやって、新しい一日へのスイッチを入れるのです。 それでは、そのスイッチはいったいどこにあるのでしょうか? そう考えたとき、それは、頭の中にあるのだろうと思いました。なぜなら、スイッチを入れた時点で、まだ、体も心も動いてはいないからです。頭でわかっていても、果たして行動に移せるか? 心からそうしたいと思っているか? それは別の問題なのです。心にスイッチが入ったときに初めて、本当の意味でスイッチが入ったといえます。時として、最初から心にスイッチが入る場合もあります。それは、何かに感動したときです。感動することによって、すべてを通り越して、心にスイッチが入ります。「すごいなあ」とか「あんなふうになりたいなあ」といった具合に、自分の想像を超えるものに遭遇したときに、それを達成したいという欲求が高まり、目標が定まります。 ずいぶん前置きが長くなりました。つまり、私は、子育てにおいて、子どもの「やる気スイッチ」を入れるためには、この三つの「頭・体・心」のスイッチをうまい具合に入れていくことが大切なのだということをいいたかったのです。一発で「心スイッチ」を入れることができたら、それが一番でしょうが、子どもを感動させ、心を動かすことはそうたやすいことではないでしょう。だからこそ、まずは、いって聞かせ(頭スイッチを入れ)、やらせてみて(体スイッチ)、心のスイッチが入るまで、根気よく待つことです。スイッチを入れることの大切さは、子どもばかりではありません。それどころか、大人になるにつれて、スイッチを入れるのが難しくなってきます。だから、私は、自分自身にスイッチを入れるために、とにかく、本を読むことにしています。そうすると、心のスイッチが入りやすくなります。毎朝、オグ・マンディーノの本を読んで1日をスタートさせるのはそのためです。 さて、3月のコラムを読んだ息子から感想のメールが届き、先月はそれを付録として掲載しました。「インターネット以上に大切なものがあり、お母さんのこれまでのアナログ的な情報収集も、ちゃんと意味がある」という、私の地道で泥臭い作業を肯定してくれる内容でした(3月のコラムの最後に掲載してあります)。そんな息子のコメントを裏付けるような文章を見つけました。『時間と無駄の科学』(大前研一・ほか著:プレシデント社)という本の中で、柳井正氏(ファーストリテイリング会長兼CEO)と対談している後藤卓也氏(花王会長)が述べている言葉です。 「むかしだったら自分で取りにいっていた情報が、いまはボタンひとつ押すだけで机の上で見られる。そんな変化の中で、自分の使命が何で、何をしなければならないのかという意識が希薄になっている」 インターネットによってたくさんの情報を共有することが可能になりましたが、たくさんの情報を知っているということと、それを自分のものにして有効に使えるということは別物であるということです。つまりは、情報を得るまでに自分がどれだけかかわったかが、その情報をどれだけ自分のものにできて、役立てられたかと大いに関係があるということです。インターネットで検索をすれば、一瞬にしてたくさんのほしい情報がパソコン上に表れます。そうして知りえた情報に、どれだけの信憑性があり、重みがあるか、そのことを検証するのは自分自身であり、得た情報をコピーしてペーストするだけではだめなのです。柳井氏は、毎日一冊は本を読み、また、後藤氏は、自社製品の試作のために結婚以来、風呂と部屋の掃除は自分自身の手でするということです。企業のトップの地位にありながら、きわめてアナログ的な行動に重きを置いているのは、自分自身の体と心で、何かを感じ取ることに重きを置いているからでしょう。 「やったらやっただけだな」というのが、私の率直な感想です。つまり、年を取るということは、そんな経験の積み重ねの量がそれだけ増えていくということであり、たくさんの情報をただ知っているというだけでなく、それを自分のものとして有効に使えるだけの智慧を身に付けていくことを意味しているのです。遠回りをしても、無駄に見えても、やったことはいつかきっと自分に何らかの形で跳ね返ってくる、そのことが理解できるのです。だからこそ、年を取るにつれて、残された時間が少なくなっていく分、時間の大切さも身にしみてわかるだけに、一分一秒でも無駄にしたくない、そう思っています。 私は、毎日毎日、たくさんの文字を目で追い、指で文字を打ち込んでいきます。私のそんな行為を目にしたことはない息子ですが、こうして、子どもが親である私の、その行為の価値を認めてくれているということは、本当に「親冥利に尽きる」といえるでしょう。執筆活動における私自身の地道な、泥臭い行動が、私の意識しないところで、息子の「心スイッチ」を入れることの手助けをしているのかもしれないな、そう思うと、私も、毎日、とにかく、新しい1日を始め、多くの感動を経験し、心にスイッチを入れるようにしよう、そう思うのです。 |
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2013-04-01 更新 | ||||||
2007
| 12
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著者プロフィール | ||||||
原田 京子(はらだ きょうこ) 1956年宮崎県生まれ 大学院修士課程修了(教育心理学専攻) 【著書】 児童文学 『麦原博士の犬語辞典』(岩崎書店) 『麦原博士とボスザル・ソロモン』(岩崎書店) 『アイコはとびたつ』(共著・国土社) 『聖徳太子末裔伝』(文芸社ビジュアルアート) エッセー 『晴れた日には』(共著・日本文学館) 小説 『プラトニック・ラブレター』(ペンネーム彩木瑠璃・文芸社) 『ちゃんとここにいるよ』(ペンネーム彩木瑠璃・文芸社) *********************** ※ブログのアドレス(※モバイルでは正しく表示されない場合がございます。 ) 「彩木瑠璃の癒しの庭」 http://ameblo.jp/akylulu/ 「彩木瑠璃の心の筋トレ」 http://blog.livedoor.jp/saikiruri/ 「ラピスとめぐる世界の旅」 http://lulu.blogzine.jp/ |
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